2016年11月21日

A statement (宣言)


私は ハッキリ宣言しました

2ヶ月前ほど 病院の私の枕元に家内と息子と3人だけ の時でした
「俺は今後 ホテルの方には 行かんよ、全てyouに委ねる 自分の好きなように自由に切り盛りして
 やっていってくれんね」
「ましてや 経営のことなどにも絶対 口だし もしない」  
だから そのつもりで家内にも 
「今後はyou が全権を持った人間だから 自分の身体に負担かけない程度に一緒にやっていかんね」
と ここまで言うことができました 私にとっては上出来ですが
田舎の牛深で息子を縛って 動けないように してしまうのじゃないかな?
という 心配もあって、、、、、それはそうとして、、、、、、、、、

唐突でしたが 二人とも 素直に解かってくれて これ以上の喜びはありませんでした

元来ここ6ヶ月の間 ホテルに足を運んだのは4回~5回程度でした
やはり私といえども お客さんの入り具合どうだろう?とか
 何も言わない家内に苦労かけていないだろうな?
とか 心配です
ところが フロントの係りの女の子に訊いたら
お客様の入りは ずーと順調で忙しい宗を聞いて安心したところでした
宿泊台帳をめっくたら 真っ黒の日(満室)が多かったのも確認できました
このことも 先程のステートメントのきっかけになったのも事実です

今後40年後は IT企業やネット産業 の開発で 現人口の40パーセントの人が
働くにも 職がなくなってしまう というようなことを聞きました
が 私はそうは思いません
現に今現在 人力産業というのが どの地でも脚光を浴びています
ネットにより 現場から離れての仕事には限界があると思います
やはり 現場に行って 人力的作業が中心だと思います
あのネット通販のアマゾンが即日配達に最後は人力の配達員に頼らなければならない
のと一緒です
私たちのお客様も今現在 現場でなければ仕事にならない団体さま ばかりです

こみいった内輪の話で申し訳ありませんでした
明日から又 入院が続く気配で しばらくスリーピングメンバーになってしまうかもしれません
また元気に 皆様とブログの中でお会いできる日まで 宜しくお願いします

  
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Posted by 波場印  at 09:14Comments(7)ホテル

2016年11月19日

時計コレクション


いつもいつも、インドアブログ ごらんなってくださって
ありがとうございます

以前から腕時計の収集には興味があったのですが
本格的に集めだしたのは つい最近のことです
20年前バンコク、台湾 香港 上海のコピー時計を買いあさりに
行くのも東南アジア旅行の 楽しみのひとつでした
ですが 当時 東南アジアでの コピーはいくらパーフェクトの うたい文句でも
すぐ壊れて 騙されてばかりでした

ですが 今は違います いい顔の時計を造ります
日本の一流時計メーカーが 自社名で安い時計を作ったら イメージダウンになるもんだから
東南アジアの時計メーカーに資本投資して 安くて若者向け時計を作らせているようです
ですから 作りも しっかりしてるし 特にデザインでは たまらなく欲しくなるものがあります 
性能なども 粗悪品でも作ったことならネットで叩かれて消えてしまうので各社の競争で
いいメーカーだけが残るような構図になっているようです

私らは昔の癖でつけますが
いずれにしても 今の腕時計はアクセサリーの役目がほとんどですよね

いずれも 高い品ではなく 一万円以上のものは2~3個しかありません
昔 私たちの子供時代のメンコ集めと思ってくだされば幸いです

一枚目のレトロウオッチと一緒に写っているのが スマートウオッチです
スマホになってから 年寄りには 使い勝手が悪く不満だらけでした
アプリなんかも あんなにいらんって
その点 スマートウオッチは ハンドフリーで電話対応できるし、
アプリも必要不可欠なもの10個位だけに絞ってあります
カメラも高性能です  何と言ってもメーカーが PCの周辺機器で有名なブルーツース
だから ヘタなもんは造らんやろと思って只今習得中です

  
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Posted by 波場印  at 13:44Comments(2)プライベート

2016年11月16日

飴に涙


今年の お盆、 3ヶ月前のことでした
病院で 一番苦しい時期だったかも知れません
新聞を買うため 一階の病院売店にいったら方脇に
昔 懐かしい 兵六餅が置いてありました
いまだ健在で85周年のラベルが貼ってありました

私には それこそ約60年ぶりの対面で 「まだあったんだね」ってなもんでした

牛深は昔からの鹿児島からのお菓子流通が主流で
熊本の朝鮮飴なんて知ったのは 随分と後のことでした

早速 3箱買ってきて 口の中に入れたとたん 子供の頃と同じ甘味、
 入っている海草で甘み半減で ガッカリしていたのも同じでした
 
そこまでは 自分としては普通どうりだったのですが
急に父のことが頭に浮かんできて
よく パチンコ屋に連れて行ってもらって 最後は景品に この飴をもらって
口いっぱいにほうばんで帰っていたこと を思い出したら
兵六餅の 箱の上に ポツリ ポツリと涙が落ちて 止め処も無い涙とは このことで
嗚咽が出そうになるのを懸命に我慢しました

高校3年の時
「オラ 外国留学したかとばって よかろかい
「ワイが 牛深の町が セマカと思うとなら 外国でも何処でもいたてヨカとぞ」

そんな父 母だったので 孵って家から離れる度胸が なかったのか、、、、、、、、、、、?



時代は昭和20年代でしょうか?
埋め立て前の長手海岸線です
長手と加世浦の境目 今の長手 老人クラブの横には造船所があったのですよ
写真 上から順番に右から左につながってます

  
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Posted by 波場印  at 09:57Comments(0)プライベート