ハーバーインブログ>巾着船>まき網船 ③
2014年01月20日
まき網船 ③
平成元年から平成10年にかけ10年間で急激に衰退していった 牛深のまき網船団
の話ですが
まき網船の特徴は 攻撃的な漁法にあります
大敷定置網のように 一定の所に網を仕掛けて魚が回遊してくるのを待つ というのではなく
5隻の船で魚群を探し回って 探し当てたら それこそ一網打尽に捕獲するわけですから
時期などを図って いろいろな場所に移動できるのが まき網漁業の有利性です、
が反対に2、3日 長い時は一週間位魚群に当たらず 5隻の船で漁場から漁場を走り回って
探索だけの日が続く時もあります 間に時化の日も挟んだら10日間水揚げゼロ
ということもあります まさにハイ リスク ハイリターンの最たる漁業です
それは まき網魚業の宿命と覚悟はしなければなりませんが その経費たるものは
膨大です その為 会社側は相応の経済体力がなければなりません
そのうち昭和60年代 種子島 屋久島近海も獲り尽くしたのが原因かどうかわかりませんが
魚影が薄くなり漁獲高が少しずつ減少し始めました
しかし 各船団は漁獲高競争のため大規模な装備船になってしまってまして
船の維持管理費 燃料代の暴騰などで操業コストが上がってしまってました
丁度 恐竜が氷河期に入って 食料が少なくなった状態だと思います
当然 船員さんたちの実入りも少なくなりますから
それに伴っての労働力不足も発生してきます
牛深のまき網の場合 ひと闇 約24日航海で種子島 屋久島沖を操業するわけですから
月の間の6日間を除いて 家には帰れません そして西日本のまき網は捕獲する
対象魚の特質上 夜間操業です 陸の仕事からしたら相当の不利があるわけですので
それ相応の実入りがなければ まき網船員にはなりません
経費縮小のため 各船団申し合わせで6隻編成の 1隻灯船を減船したり
省人化に結びつく器機なども装備しましたが まき網の場合 複船操業ですので
絶対必要人員というのがあります
魚価の低迷なども重なって 自然衰退という形になり 私の船も含めて平成5年
から平成15年の間に 牛深の大中型まき網船は 一ヶ統もいなくなってしまいました
波場印
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
私は 深川水産の昭徳丸とか西山丸 喜進丸 満吉丸さんとか
よく伺っておりますよ
牛深最後の大中型が宮崎の金毘羅丸に譲渡したので
今では 長崎の哲丸と宮崎の金比羅丸が熊本県の漁場も
活躍の海にしているそうですよ 一本釣りの方からよく聞きます
牛深も鹿児島船籍の19トン型の徹丸さんだけですよね
寂しくなりましたね
しかし 後浜の荷揚場ができたので 長崎の船が水揚げするようになりましたね 私も時々おすそ分けをいただきます
長崎の昭徳丸も 今は まき網を減船して 唐津で塩干事業に
力を入れてるようです、
昨年 大分県の大中型 金毘羅丸が廃業しました
今残ってるのは 優秀船ばかりのようですね、長崎県三重町の哲丸が
牛深に時々 入るのですが これが19トンか? というくらい大きくなってますよね
鹿児島では頴娃の豊徳丸(19トン)が 独り舞台で独占活躍してるみたいです
大変勉強になり、懐かしく感じ入っております。
私も家業である水産加工業を受け継ぎ今年で39年目となります。
父親の指導で18歳から牛深漁協の仕入れ入札をやらされました。
当時 特に棒受け網の時期になりますと、巻網船の漁獲水揚げもあいまって、加工業も50軒近くあり 市場は活気づいていました。
今現在、私どもの原料とする、鯖・鰯類・ムロ鯵など、巻網船の減船による漁獲量の低下はもとより、昨年からの円安による海外向けの缶詰用の輸出原魚が高騰し、養殖のクロマグロに至っては用いられる飼料の数量は国内の鯖・鰯類の総漁獲量を上回る勢いです。
この節・煮干しの加工業がこれほど世の中の変化に左右されたことは無かった事で戸惑っているところです。
これかにもブログ楽しみに拝見させていただきます。
コメント 有難うございます、
自分の知ってる限りのことだけを書きましたので 人によって違った
角度から 思い入れが有るかも方もおられる知れません
しかし 養殖マグロに用いれられる飼料の数量が 国内の総漁獲量を
上回る勢い とは知りませんでした
でも 今までと同じように まき網に限らず 現在の漁業家を支えているのは加工業者の方々です、頑張って下さい
私は まき網をしていた当時 加工業の方々には いつも感謝してました、
牛深のまき網船が廃業してから 私の同級生が数人 大分のこんぴら丸に
乗ってたのですが 去年 彼らから 聞きました
コメント有難うございます、
まき網船の情報はTVの本船転覆事故などでしか わからないのですが あの一流のまき網会社が 本船を20年以上使ったり 船員にインドネシア人が乗ってたり ですから 直近 まき網船の事情も大分と変わたのでしょうね
そうでしょうね、
ところで 長崎と佐賀は 何丸が廃業したんでしょうね?
私は 佐賀県の神集島(唐津)という所まで 船を買いに行った経験があります
全社 私のよく知っている まき網船でした
考えられないくらいの 一流船ばかりでした
時の流れを実感しました
色々と 思いが交錯して 言葉が見つかりません
情報ありがとうございました
中型巻き網船の本船は40年代は60トン未満、50年代は70トン未満、 昭和57年以降80トン というように 約10年ごとに サービストン数が 国から認められるようになったと思います(船員の居住性改善の為) 上の本船は50年進水でしたので69トンです、サービストンが認められる たびに 造りかえるか 代船を乗り換えていました 尚 付属船の大きさは自由でした
電柱に屋号が書いてあるのは 岡から船に 陸電を引く為の設置電柱だと思います 各船 持っていました