ハーバーインブログ>牛深>25 years ago

2016年01月30日

25 years ago

25 years ago
                         瀬崎 H28.1月30日 天気 曇り

一週間前の 大雪から 悪天候続きで
引きこもりライフです
相変わらず オールドデイズの動画ですが
お暇なかたは 覗いてみてください


天附けの渡し舟です
昭和の最終年頃の番組だと思います
ハイヤ大橋はありませんが のどかな中にも
活気は今よりあったような気がする と感じるのは
私だけですかね?


長崎 五島の巻き網船
1990年代
漁獲高競争が熾烈で設備投資のピーク時代だと思います





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Posted by 波場印  at 14:20 │Comments(25)牛深

COMMENT
渡し船!懐かしかったです。
私も子どもの頃、よく乗りました。
瀬崎の桟橋に繋いである船は、浅海、深海に行く船じゃなかですか?
よくわかりませんが!(=^・^=)
ありがとうございました。
Posted by 一升瓶一升瓶 at 2016年01月30日 15:30
一升瓶 様
子供時代、青年時代を 思い出していただいて嬉しいです、
浅海 深海行きの船は知りませんでした
Posted by 波場印波場印 at 2016年01月30日 15:47
野村丸のハイテク機器であの 戦艦ヤマトを鹿児島の南西沖で発見
TVでみましたよ
あの頃の本船のハイテク機器は 値段もすごいがテクニカルも
すごかったようですね
使いこなした船頭が 大漁一番乗りでしたね
Posted by 民宿大漁丸民宿大漁丸 at 2016年01月30日 18:29
私が東海船に乗った頃(97年)はすでにこの動画のとおりフル装備でした!!表甲板の右舷側のサイドローラーも内側に折り畳み式でパワーブロックもクレーン式で旧来のパワーブロックと違いトモのアバ側に据え付けてありました、ブリッチの上の見張り台(マグロ探索)も設置されてましたよまったくこの通りです!!本当に懐かしいです!!乗り子のおっちゃんや兄ィ達は西沖操業時は集魚中よくトモ下(船室の大広間)でよく麻雀や花札をやってました!!私は酒と博打には背を向けてましたが、当時私達若い乗り子は寝台の中にTVとビデオを設置して(CDプレーヤーも設置)ゲームで遊んでました!!独身の兄さん達は寝台の中でよくAV(無修正)も見てたようです(笑)…動画見て思いましたが巾着の本船生活は皆一緒ですね(笑)ベルが三回なればスタンバイしてデッキに上がって綱とワイヤーをレットでデッコー船に投げて…漁労長がブリッチからマイクでおめきます…「かまえとけよーっハイ!デッコーデッコオオオオオオオオオォォォォ~っ」と(笑)西沖操業はまだ天国でしたが、シナ海操業は一回操業が終わってカッパ脱いでトモ下に下ろうかしたら…またベルが三回なり一晩三回、四回操業あたりまえのようでした!!
Posted by 天草灘(海王) at 2016年01月30日 20:41
民宿 大漁丸様
各 電子機器、魚探 メーカーも 売らんが為の競争でしたからね
当時の機器の開発発達ぶりには 本当に驚かされました
現在は もっと発達しているでしょうね

海王 様
漁労設備も この時代から重装備になってしまいがちになりましたよね、 
網が丈夫で大きくなって それに見合う 力のある油圧機器でなければ
ならないようになって 昔なら2万、3万 溜めた魚は 破網とかで
本船の転覆事故など あまりなっかたでしょうけどね
200トン型の新型巻き網船の結果が 成功することを願いましょう
Posted by 波場印波場印 at 2016年01月31日 07:03
ニュースで見ましたが、今年の三陸沖のサンマ棒受網漁の水揚げは40年ぶりの最低水準だったそうですね!問題は台湾の1000トン級の船が侵入してきて半年間三陸沖に錨泊 してぶっ通し漁を続けて水揚げと補給は母船を使い三陸と台湾を往復してるようですね!東シナ海においても中国の虎網漁船が日本の領海で荒稼ぎして問題になってますね!魚どころか珊瑚も密漁しまくるし、中国の漁船はたち悪いですね!
Posted by 魚くん at 2016年02月11日 12:20
魚くん 様
多分 その影響もあるでしょうね、公海上ですので 規制するものがないの
でしょうが 国際的な取決めが必要になるかもしれませんね
いくら回遊性の青物魚でも無計画に獲ったら資源に限りがある ということ
が解かるまで 中国 台湾 韓国も しばらく時間がかかるかもしれませんね
Posted by 波場印 at 2016年02月12日 07:39
過去のブログ「ナダナ」は随分前に参照しましたが、ネットで五島の巻き網史を検索して研究してましたが、ハーバーイン様のブログと共通する記事を見ました、網のコールタール染め…過酷な作業だったようですね!昭和20年代の奈良尾、浜串、岩瀬ケ浦(東支那海に進出する前の時代)界隈のある牧師様のお話しですが、においのきついコールタール染めをしなければ網が腐蝕して使い物にならなくなるという記事を見ました、なかにはコールタール染めの手入れをせず、網がボロボロになり使い物にならなくなって倒産した船もいたようです!!この牧師様の記事を読んでたら「十の写真も出てきましたよ!私の巻き網の歴史感ですが巻き網を降りていろんな書籍を見て研究しましたが特に大中型の五島(奈良尾)、平戸(生月)、天草(牛深)‥この三島の巾着船は戦後沿岸で(当時木造船)イワシを捕りまくり大漁してたようですね!昭和24年のイワシ大漁ランキングでは一位は長崎県、二位は牛深と記録されてます!しかし昭和27年頃になると各沿岸にイワシがいなくなり当時大手大洋漁業の子会社(林兼商店、長崎漁業、興洋漁業)もイワシ漁から撤退したようです!当時は五島、生月にも牛深のようなイワシナヤはあったようで、しかし昭和30年初頭に生月の丸源様や奈良尾の福邦丸はナヤとの関係を断ちきり船を大型化して東支那海に進出して鯵、鯖を大漁して成功した実績がありますが、牛深においてもその頃は牛深沖にイワシがいなくなり、船を大型化して鹿児島県沖に一番乗で進出してサバ、ムロなどを大漁して成功したのが満吉丸だったのではないでしょうか(私が巻き網に関する書籍を沢山読んで研究した私感ですが)
Posted by 天草灘(海王) at 2016年02月13日 09:47
天草灘(海王) 様
コールタール染めの作業はきつかったみたいですね、乗り子さんたちの皮膚
がマケテ 真っ赤になっていたようです 私が小学5年か6年生の時
牛深の瀬先でコールタール染め作業をしていた ある本船が爆発事故を
おこして怪我人も多く出ました 私の父の船は三角に 染めにいっていたようです
Posted by 波場印 at 2016年02月13日 11:29
私が造船所で働いてた時分コンテナ船やタンカーのバラストタンクのサンドブラスト塗装で使用してたエポタールという黒い塗料を吹き付けていましたがものすごく強烈な塗料でした!防毒マスクを着用して顔はセロハンで養生して塗装作業してましたが‥顔や皮膚が焼けてヒリヒリして強烈でしたよ、タンク内はガスが充満してファンや送風機を設置してましたが、ある瀬戸内海の呆造船所では塗装中にタンク内がガスで充満しているにもかかわらず、タンクの上から溶接の火花が落ちてきてタンクが爆発した事故もありました、その塗装工は全身やけどをおいケロイド状態でタンクから必死に出て来て20日後に亡くなったそうです、私は造船所でタンク専門の特殊塗装兼サンドブラスト工をやってましたが、好きでやってたわけではありません、体に悪いし塗装工員もガラ悪いし、クセ悪いし(酒ぐせ悪い、手クセ悪い、チンピラ、半端ゴロ、暴走族、タカリ屋、流れ者、日陰者が多い)なかにはいい人もおりましたが(笑)タンク塗装工は賃金が良かったです当時最低でも\12000はもらってました!!最高の時は日当\16000もらってたときもありました、しかし長崎では単価が安く最高でも\12000程度でした!金はいいけどガラ悪いですね昔の筑豊の炭坑みたいな雰囲気です!!私が東海船に乗った時分は西沖ではあまりよい結果ではなく固定給でしたが歩合給は支那海操業の時ぐらいです賃金は恥ずかしくて言われませんが(昔の牛深船団は歩合賃金良かったでしょうから)私で一闇50万以下ですかね(笑)船舶免許取得してからはもっと賃金は良かったですが…巾着船は乗り子のおっさんは中には気が短く口うるさい人もおりましたが、クセ悪い人は一人もおりませんでした、私が乗った本船は酒飲みがほとんどいませんでした、漁労長も船長も通信長も機関長も皆酒はほどほどでした、体にも悪くガラの悪い造船下請け工で働くよりも巾着船のほうが健康的で(筋肉モリモリでたくましく)よい思い出でした 
Posted by 天草灘(海王) at 2016年02月13日 13:02
天草灘(海王)様
サンドブラストの仕事は みるからに危険と隣り合わせの作業で工賃が
よくても 苦労なさったでしょうね、
五島の船員さんたちで2~3年稼動しましたが 凄くいい人と そうでない人が極端だったのが印象に残ってます  マル十の漁労長をしていて
鹿児島 種子島北端で 魚の溜めすぎで本船の転覆事故を おこした人が
最後 うちの船の漁労長をしたのですが いい人でしたね 新魚目の人でした
Posted by 波場印 at 2016年02月13日 13:30
私が乗った本船には家族が多く貧しくて高校にも行けず中学卒業して口べらしのために船に乗った人もいました凄く苦労された方です、現在43才位になっておられると思います、昭和61年15才で飯炊きからデビューされ現在は船長代行(一等航海士)になっとられますが、一番したっぱの飯炊きから苦労されたかたは操業中もバリバリ動きますし、網さばきも上手くワイヤー仕事も上手く料理(刺身)も上手く、威張って若手を怒鳴ったりしません!!彼が巻き網デビューした昭和61年頃は北海道釧路沖のイワシ漁だったそうです朝から1日5回操業が当たり前でカッパを脱ぐ暇もなく飯も立ち食い状態で最悪な時は飯中に地獄の三回ベルが鳴り、忙しくて茶碗を海に投げ捨てることもあったみたいです、私はその方から網仕やワイヤー仕事(ツボ入れ)を仕込まれました、今も感謝しております、まるでおしんみたいな人でした、いわゆる叩き上げですその方は平戸市根獅子の方でした!! いつか彼が漁労長になるのを今も祈っております!
Posted by 天草灘(海王) at 2016年02月13日 14:55
天草灘(海王)様
牛深も 昔は中学をでて カシキを2~3年経験してた人ばかりでしたので
私は羨ましがられたでしょうが その苦労した人たちとの交わりのお陰で 私は大学で学ぶより何倍も大切な人生勉強を させられました 巾着船の船員さんたちは本当に素晴らしい人ばかりでした 道東沖を経験された その方は必ず漁労長までなられると思いますよ
Posted by 波場印 at 2016年02月13日 16:42
YouTube三回繰り返し見てハーバーインブログ巻き網①~最終章まで全部読んでコメントしました、鹿児島県沖は古くから牛深船団の庭場だったのに…こんなハイテクフル装備で五島船団が鹿児島県沖に参入してくるんだから…まさに企業戦争(海戦)ですね!鹿児島沖海戦といいましょうか…牛深の精鋭が(西山丸、旭丸、喜進丸、満吉丸、豊漁丸、まるさん丸、昭徳丸)いなくなったのは今でも残念に思います!例えれば牛深船団が日本の連合艦隊で五島や生月の船団がアメリカ太平洋艦隊に思えてきます、西山丸と旭丸が(空母赤城、加賀)、喜進丸と豊漁丸が(空母飛龍、蒼龍)、満吉丸の二ケ統が(空母瑞鶴、翔鶴)、昭徳丸が(戦艦武蔵)、まるさん丸が(戦艦大和)と今でも私はこのくらい牛深の巻き網船団を誇りに思ってます!
Posted by 天龍丸 at 2016年03月01日 14:05
天龍丸 様
まさに戦争でしたが 同じ魚場を働いていると各船同胞意識もできてきて
楽しかったですよね 巻き網から離れて だいぶん経つので現状の巻き網
環境はわかりませんが 過去の失敗から学習して巻き網船の操業形態
経営方法など いい方法が模索されて残っていくのを期待してます
Posted by 波場印波場印 at 2016年03月01日 15:05
もう長いこと後浜に東海船が入って来なくなりましたね、漁協の巾着の水揚げは徹丸と長崎三重の哲丸と不知火海から来る双手巾着や超小型巾着船の水揚げしかないのですかね?長島の竹吉丸や黒の浜の巾着船は牛深漁協に水揚げしよるんですかね?東海船どころか不知火船の活躍ですかね(笑)随分前ですが牛深の漁栄丸、まるしよ丸、良栄丸が稼働しょった頃は長崎哲丸は勿論ですが野母崎の熊野丸も後浜に水揚げきよったですけどね!昨年5月頃は朝から後浜に水揚げば見にいったんですが、徹丸の母船と不知火船のダンベが水揚げしてたのを見ましたが、なんだか漁協の巾着水揚げよりも棒受網の水揚げのほうが活気ありますね、くやしかです!ってゆうか徹丸、漁栄丸、まるしよ丸、良栄丸がいつも漁協に水揚げしよったし、外来船も長島、阿久根、長崎三重、野母崎ん母船も後浜に水揚げきよったですけどね!不知火母船が牛深に水揚げに来るようになってるという状況なら随分巾着部門は衰退しとるんですかね?
Posted by 巻き網ファン at 2016年03月12日 00:25
巻き網ファン  様
シナ海、台湾沖は赤、青ムロ、ヒメあじ、ゴマさば主に加工向け魚種ですが
よほど大量に もってこなければ 遠い漁場から ジャンボ運搬船ですから
 燃料費がかさむ のかもしれませんね、おまけに中国船との競合
東海巻き網船には あまり良くない環境になったのかもしれませんね
 それより五島西沖 近海で鮮魚種を対象に操業したほうがよくなったのかもしれません  
Posted by 波場印波場印 at 2016年03月12日 07:37
昨日南米アルゼンチン沖合いに中国漁船が進出してきて無許可で違法操業を繰返し地元の警備船に撃沈されたそうです!
Posted by 魚くん at 2016年03月17日 11:49
魚くん様
決して いいことではないのですが 漁業者は違反操業は あります
私は 25年前 漁業法違反で 前科3犯でした 新聞にも極悪人のように
書かれました(笑) いずれも国内の保安庁から拿捕されてのことですが
外国の警備艇からとなると 恐怖でしょうね
Posted by 波場印波場印 at 2016年03月17日 12:50
でもハーバー様は乗組員の為に自ら責任を取られたので凄いと思いますよ!!25年前に禁漁区に違法されたのであればこのブログのYouTubeも見ましたが東海船が最新鋭装備の魚探やソナーを据えてフル装備で鹿児島県沖合いに攻めて来るわけですからそうなりますよね!しかし日本の漁船は中国船のようなこんな酷いことしませんよ…しかし北部太平洋のサンマ漁も台湾漁船が乱獲して日本漁船が不漁とかいってニュースでも騒いでましたが…その台湾サンマは日本に輸入してくるんでしょうから、日本の魚商売人にとっては都合がいいでしょうね!商売人は儲けて笑が止まらないでしょうが日本の漁師は大変ですわ…日本漁船は大中型巻き網も海外巻き網船団もこんな中国の暴走漁船団みたいなことはできないでしょうね!東海船もここまで漁場を荒らされたら武器持って逆に奴らの漁場を荒らしたらおもしろいですがね!
Posted by 魚くん at 2016年03月17日 13:47
魚くん 様
鹿児島沖も季節的に 地元のアゴ網、サバ船、との競合で禁漁区が
複雑にあって厳しかったですね、日本船は魚に対する生態知識などで
ルールを守らない船はいなくなったでしょうけど 中国 台湾は おかまいなし
でしょうから 漁業関係者の方々は国を動かして取締りを厳重にしてもらわなければならないと思います
Posted by 波場印波場印 at 2016年03月17日 17:22
ハーバーインさんへ!!ネットやYouTubeで巻き網の最新情報や最新鋭巻き網漁船の情報はみてますが、五島の昭徳丸と舘浦の大栄丸の新型本船の形は表ブリッチで今まで通りの巻き網本船らしさを感じますが、源福丸や石田丸の新型本船は随分形が変わりましたね!まるでノルウェーの巻き網漁船みたいですね!ブリッチが真ん中にあってトモの網を積んでる作業半径が狭く感じます!特に北部太平洋で操業する大中型は天草灘様がコメントで記されてますが、199t~270t~300tぐらいまで増トンされてますね!しかも大中型本船で海外巻き網船みたいに冷凍設備まで設置して、しかも省エネ対策で本船にデッコ船を搭載して、本船、灯船一艘、運搬船二艘の計4艘で船団を編成しているみたいですね!時代が変わりましたね!
Posted by 巻き網ファン at 2016年03月26日 11:01
巻き網ファン 様
漁業を離れて長いことなりますので 現況の巻き網事情はわかりませんが
 巻き網船は どうしても複船操業がネックに なっていたのでしょうね
本船の船員さんたちの安全性をも考えて 本船を大型化して単船操業に変わっていくかもしれませんね 
Posted by 波場印波場印 at 2016年03月26日 18:36
天附の渡し舟懐かしいです、今二十歳位の青年達はこの渡し舟、巾着船、ガルータも知らないでしょうから(笑)ハイヤ大橋が出来てなんか港が寂しくなったと思えば…渡し舟、巾着船、高速艇がいなくなったからですね、巾着船の懐かしいブログみてますが、私も昔は通天橋んにきから夕方巾着船がバリバリと出航して行くシーンをながめておりましたよ!
Posted by 下須島人 at 2016年03月27日 09:18
下須島人 様
時代の流れで 日本の各地方の環境 風景が変わっていくのは仕方ないでしょうね 牛深に限らず 寂しくなった港は日本各地にあるでしょうね
Posted by 波場印波場印 at 2016年03月27日 12:31
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