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2017年04月19日
祭り一過
ハイヤ祭りも済んで また普通の静かな牛深にもどりました
毎年 この祭りが終わったら 快晴になるような気がします
牛深では ゲスサカナでしょうけど他所から来られた人には珍しいんでしょうね
古い話で申し訳ないのですが 昔 巡業で牛深出身の相撲取り 栃光さんが来た時 一緒に来た
横綱 栃錦さんは このキビナゴをトロ箱一箱(15キロ)食べた という逸話があります
私の家では昔から キビナゴはワサビ醤油でなく チンピンコという香辛料を自家製で作って使って
いました 今は同じものが 「島の香り」という商品名で長島で販売してあります
そして 鰺のタタキは生姜とポン酢です
今夜のオカズ
昨日 本渡のスーパーで 鮎をみつけました
河魚は泥臭くて食べれないのですが 鮎だけは別です 川内川の解禁が待ち遠しいですね
仰向けに寝てペダルを踏んで走る自転車 どんな人が乗ってきたんだろう 思ったら
やはり 外人さんでした
デニムボトムに合う靴とウエストポーチを買う ツイデ、、、、、
釣った魚にも餌は要ります 日頃の感謝をこめて家内にも買いました

新しい 親戚だそうです 、早く逢いたいね
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栃錦がそんなに食べたとはびっくり。初めて食べてとまらなかったのかな
所で巾着網の出港のビデオ見ましたが通天橋の下が狭くて時間がかかったとか、変な質問で申し訳ありませんが黒島方向の出口方向に岩礁がありませんでしたかね。だから1隻ずつ出漁していた様な?
通天橋は49年ごろ完成したんですかね
コメント有難うございます
料亭の人たちが 栃錦が食べるのをオビクのに間に合わず 汗びっしょりに
なったそうです
通天橋はの完成は今チョット思いだしません、今度 橋の袂のプレートを
観てみます 多分 その頃でしょうね
巾着船の項目はみんなびっくりなことばかりで感動してしまいました
私は崎津生まれですが昭和30年代の崎津の網はまだ縫い切り網で4統。
巾着はもろ手の小さいのが1つ
縫い切り網は実際に網を引いたこともあります
灯船からの合図で網を一遍にレッコウして左右分かれて一周しオモテをつなぎウラ漕ぎしながらカグラで巻いていました
これだとさかなの網あたりが早くて少ししか取れない時も
牛深の古い写真に帆を挙げて操業中の縫い切り網みました
それからもう一つ
小さいころ汽船から荷物を運ぶ船のことをだんべと言っていましたが
ここのブログで意味がやっと分かりましたょ
牛深から崎津は 今でこそ近くなりましたが 昔は遠かったので あまり
行った事がありませんでした 崎津にも網漁業があったんですね、
考えてみたら 前はいい漁場で入り江が深くていい港ですもんね
昔のこと 思い出していただけて よかったです
海が時化ると亀浦迄船で魚貫線を徒歩で行けました
牛深の回転焼きがお土産です
崎津の港、洋角湾の地引網、ここはタレの宝庫だったようです、外海が荒れても浦の中で操業できますからね、それも30年代の後半には漁獲も減り、都会に出ていく人も多くなり衰退したようです
昔東シナ海で操業していたトロール船、時化で逃げ込むときは崎津だったそうです、港に入りきれないほどの。日の丸を舳先に書き込んだ船が、、
その晩は大変です、一軒しかないところに列ができててましたね
ちなみに禁止法は33年ですかね
天草西海岸は 冬時期 北西の風で時化が多かったでしょうね、
港の饅頭(回転焼き)の旨さは 幼心に私も覚えてえています、
崎津は天然の いい避難港だったでしょうね
禁止法ができたのは私が小学生の頃でした