2014年01月29日

梅 満開です



家の庭の梅 満開です、
近年 こんなに咲くことってあったかな~
開いてない 蕾がまだあるので しばらくは楽しめそうです

一月は新年会
御陰さまで多くのグループのお客様から お使いいただきました
そのうち写真とれた方々のをご紹介致します

 かたらんな様の「森 伊蔵を味合う会」
こんなに盛り上がる宴席って 最近では珍しいんですよ
私もお客様で ご一緒させていただきました
皆さん 各々いいキャラを持ってる方達ばかりで楽しかったです
遠くから牛深までお出でいただきまして 有難うございました



牛深ライオンズクラブ様
 こちらの皆様に いつも感心させられるのが 服装がしっかりしていらっしゃることです
多分 メインメンバーのKさん(おなじみ 宝もち本舗の社長)ご夫婦様が
センスのいいファッションリーダーですので それが影響してるのでしょうね
いつも 御利用していただきまして 有難うございます



またまたヤッチャッタ
新年早々 マスターズの3番ホールでホールインワン
一生のうち 一度も経験しないゴルファーがほとんどなのに
二度目の快挙  この人 何かを持ってる
ハーバーインの宴会費 二次会 三次会各お店の お支払い 全部この人 独りのおごり
太っ腹    山の穴入れが大好き、、
奥様のも ご寵愛ください


  


Posted by 波場印  at 14:08Comments(9)ホテル

2014年01月24日

まき網船 最終章



究極のまき網船
これが海外まき網船といって 究極に発達した まき網船です
日本に30数ヶ統いると思います (450トン~700トン)
漁法は 沿岸の小型まき網や日本の中近海を操業する まき網船と全く同じです
 まき網漁業の弱点を うまくクリアしてます
作業船(レッコー船)を船尾に搭載して 捕獲した魚も自船に積載して
総員20名前後の乗組員で いわば オール イン ワン というやつです
公海上でカツオ マグロを漁獲対象に操業しますが まき網船は大小に限らず昔から
嫌われ者の代表格ですので 資源枯渇の世論や
マグロ延縄漁船、カツオ一本釣り船を刺激しないように許認可は農水省で
コントロールされてるんでしょうね 

しかし 台湾資本の海外まき網船などは増加する一方のようです

波場印  
タグ :牛深


Posted by 波場印  at 07:52Comments(22)巾着船

2014年01月20日

まき網船 ③



平成元年から平成10年にかけ10年間で急激に衰退していった 牛深のまき網船団
の話ですが 
まき網船の特徴は 攻撃的な漁法にあります
大敷定置網のように 一定の所に網を仕掛けて魚が回遊してくるのを待つ というのではなく
5隻の船で魚群を探し回って 探し当てたら それこそ一網打尽に捕獲するわけですから
時期などを図って いろいろな場所に移動できるのが まき網漁業の有利性です、  
 が反対に2、3日 長い時は一週間位魚群に当たらず 5隻の船で漁場から漁場を走り回って
探索だけの日が続く時もあります 間に時化の日も挟んだら10日間水揚げゼロ
ということもあります まさにハイ リスク ハイリターンの最たる漁業です 
 それは まき網魚業の宿命と覚悟はしなければなりませんが その経費たるものは
膨大です その為 会社側は相応の経済体力がなければなりません

そのうち昭和60年代 種子島 屋久島近海も獲り尽くしたのが原因かどうかわかりませんが 
魚影が薄くなり漁獲高が少しずつ減少し始めました 
しかし 各船団は漁獲高競争のため大規模な装備船になってしまってまして 
船の維持管理費 燃料代の暴騰などで操業コストが上がってしまってました
丁度 恐竜が氷河期に入って 食料が少なくなった状態だと思います

当然 船員さんたちの実入りも少なくなりますから
それに伴っての労働力不足も発生してきます 
牛深のまき網の場合 ひと闇 約24日航海で種子島 屋久島沖を操業するわけですから
月の間の6日間を除いて 家には帰れません そして西日本のまき網は捕獲する
対象魚の特質上 夜間操業です 陸の仕事からしたら相当の不利があるわけですので
それ相応の実入りがなければ まき網船員にはなりません

経費縮小のため 各船団申し合わせで6隻編成の 1隻灯船を減船したり
省人化に結びつく器機なども装備しましたが まき網の場合 複船操業ですので
絶対必要人員というのがあります

魚価の低迷なども重なって 自然衰退という形になり 私の船も含めて平成5年
から平成15年の間に 牛深の大中型まき網船は 一ヶ統もいなくなってしまいました

波場印  


Posted by 波場印  at 14:33Comments(15)巾着船

2014年01月19日

まき網船 ②



牛深の大中型まき網船に限って 書きますと
昭和30年代前半の頃から 牛深沖の魚資源に陰りが見え始め 
自然淘汰の中で生き残った船団は新しい漁場を開拓しなければならない情况になり 
ある船は装備を大型化して中国大陸の東シナ海へ出漁する船もでてきました

私の父の船は 当時未開拓 漁場だった鹿児島県海域の許可を譲り受け
 種子島 屋久島に漁場を求めて 出漁しました
牛深沖のイワシの減少と反比例して 鹿児島県沖のムロアジ 鯖 アジ漁場は
未開発の漁場ばかりでしたので その事が幸いして 豊漁の連続だったのでしょうね
しかも イワシと違って値段の高いムロ 鯖種でしたので 水揚げ高も飛躍的に延びた
のだと思います
その後 他の船団も追従して鹿児島県沖が主な漁場になりました
昭和40年頃からは 長崎船籍のまき網船団も参入して 鹿児島県沖は 一大活況の
時代に入りました
当時 牛深の船団は7ヶ統が鹿児島県沖を主漁場にしていまして
主な水揚げ港は枕崎、串木野 阿久根 が主でした 
大漁続きで 漁箱不足とか製氷不足とかもこの時代でした
牛深のまき網船の20年代がピークの一回目だとしたら 40年代は2回目の
ピークだったのかもしれません

その間 屋久新曽根、内之浦沖という 好漁場も発見され
オイルショックの波にも もちこたえる事ができました

50年代に入り バブルの前兆で アジの値段などトロ箱ひと箱(15キロ)
で1万円以上する時代になり 獲る船は ひと晩に5千万円を揚げる船もめずらしく
ありませんでした 
当然 各船団の間の 漁獲高競争も熾烈を極め 競争に勝つためには いい船を使い
ハイテクな魚群探索装置を他船団より 少しでも早く装備しなくてはなりません
当時 一台1800万円代のソナーが飛ぶように売れていました
まき網船の場合 一ヶ統5隻の船がいたら5隻で探索活動をするので 極端に
したら全隻の船に装備しなければなりません
牛深のまき網本船の建造ブームもこの頃昭和50年でした
当時 本船1隻がフル装備で一億二千万円だったのを覚えています

当時の船員さんとの給料取り決めは 固定給の他 歩合給でした
船主側も 利益が上がりすぎて税金で持っていかれるより 船員に還付したほうが
いいとの思いでしたので 当時の船員さんも 相当な高収入だったと思います

次回は衰退していった 年代などを 書きたいと思います
最後まで お読みくださいまして 有難うございます。



波場印


  
タグ :牛深


Posted by 波場印  at 10:25Comments(11)巾着船

2014年01月16日

まき網船 ①

まき網漁業


旋網漁業
思い返しても何にもならないのですが
牛深の漁業史に もし興味のあられる方が いらっしゃいましたらと思い
 牛深の まき網漁業の近代史について 私が知ってる限りと 経験したことを
含めまして 少しずつ お話したいと思います
最初に説明しなくてはならないのが
まき網魚業は複船操業といいまして 本船(網船80トン)) 灯船(44t)が3隻
運搬船(120t前後)が2隻 合計6隻の船団で一ヶ統を形成しています
魚群を 集める船 網を投網する船 獲った魚を港に運ぶ船 一船団総乗組員約50名
で操業する漁業です 
カツオ マグロ船のように 1隻で操業するものは 単船操業船といいます
東日本大震災の時 気仙沼の陸に打ち上がったままになってるのが
まき網船の運搬船 (18共徳丸 330t)の1隻です

昭和21年から30年代前半までの
牛深のイワシ アジ 鯖 を漁獲対象とした まき網船は 戦後 日本の
中央都市部の食料不足なども相まって 獲っても 獲っても 需要があって
 漁獲生産が追いつかない 状態でしたので 空前の好景気だったのでしょうね
それに付随した 水産加工場(ナヤ)の発展なども 活発になって 牛深は
日本でも有数な漁獲物生産の主要基地になりました と思います



昭和45年
私が牛深に帰ってきて 最初に帳簿を付けた時の燃料 A重油の値段がリッターの
15円位で ひと闇(一ヶ月)約25万リッター使ってましたので 燃料代は
400万円前後でした それでも ひと闇の水揚げ高が2000万円から4000万円の
水揚げ高でしたので 当時 さして気になる様な数字金額ではありませんでした

現在 調べたことはないのですが おそらくA重油の値段は6~7倍になってると
思いますし
使用する船のエンジン馬力も当時からすると相当な大馬力になってると思いますので
一ヶ月に消費するA重油の量は2~3倍になってると思います
設備投資の拡大や 操業経費の肥大に伴って 魚価が比例して伴えばいいのですが
国内の食環境の変化や 輸入魚の影響もあって 魚価は上がるどころか昭和40年代
そのままです
(当時の漁業関係の人たちには まさか あじ 鯖が 北欧 あたりから輸入できる
ほどの冷凍技術が発達するとは思わなかったのでしょうね)

その結果 いま問題の尖閣諸島,魚釣島を主漁場としていた長崎五島の大型東海船
(135t)も衰退してしまいました
現在ももちろん 九州西沖 山陰、三陸漁場を主とした大型まき網船も稼働してますが 
 資本力のある大規模な魚業会社は まき網許可を ひとつにまとめて
米式まき網で カツオ マグロを 単船操業で採ってます

注釈 
網船本船39t以上の網船まき網船は 農林水産省の国の許認可魚業です
20t未満の小型沿岸まき網船は県知事許可でその県に応じた統数で許可されてます、
現在 こちらの方が 小規模で健全経営をしている魚業会社もあります

今の 日本の港 水産物 水揚げ高 一位は焼津でも銚子でもありません 成田空港です
ですから 水産関係のかたは 成田漁港と言います

まき網船のことについては 書ききれないほどの 思いがありまして
まとまりが尽きません

また 思い出したら おいおい書きたいと思います、
  
波場印
  
タグ :牛深巾着船


Posted by 波場印  at 17:04Comments(32)巾着船

2014年01月09日

賀茂川でナンパ

7日、 娘が帰るので 11時ころ牛深を出て 本渡のバスセンターに向かいました
亀川ダム付近で お腹すいたね 何か食べようか ということになって
賀茂川という うどん屋さん 美味しいらしいよ 
娘がスマホで 検索してて 北原町って 何処? Pガイアの前だって
Pガイアってどこ?  なんだかんだ言ってて 無事見つけました
丁度12時で 混んでましたが一番奥のテーブルになんとか座れました 
やはり みなさんのお噂は本当でした
いいだしがでてて うどんってこんなにうまかったかな と思いました
焼肉定食の肉も柔らかくて とても美味しかったです
 
私たちの隣に座ってた 二人連れの女性の方が食べ終わるなり
「あら、おでんがあるよ ほら」ともう一人の方に 言われたのを お節介に
私が取り上げて「美味しそうですね」と言ったら 気安い 話好きの方で
会話が始まってしまいました
「女性にお歳を聞くのは失礼ですが 何年 お生まれでしょうか?」って聞いたら
「大正15年 生まれ87歳ですよ」 もう人方が娘さん
母一人娘ひとりの家庭家族様でジョウガワラから おいでなされたそうです
お母さんのほうに ラメ入りのマフラー 素敵ですね と言って
娘が お洒落ですねぇー  と言ったら 満面の笑みをお返しくださいました
会話が途切れないので 食べ終わったあと4、5分長居しました

賀茂川様 どうも申し訳ありませんでした


 波場印
  

Posted by 波場印  at 13:51Comments(6)プライベート

2014年01月04日

プライベート ブログ



うちにいる猫
私の家にも猫います、
朝、夕 餌をやるものだから 庭に住み着いてしまいます
こいつで 何代目なんだろ?
大体 3年から5年のサイクルで 入れ替わって違う猫がきます
今 いるのは強面猫相なのですが 運動神経が悪くドジな ところが可愛いです
薄暗い時 自宅に帰って 私が車から降りるのを待ってて 足元に
まとわりついてきて 踏みつけられるたびに ギヤーと痛い目にあうのに
懲りません 
もちろん 私も注意して歩くんですよ ゴメン、ゴメン、ってなくらいなもんです


お利口にしてなきゃ ネコカフェに売り飛ばすよー
でもこのタイプは 指名もはいらんだろね


箱根駅伝 
なんとなしに 観てたら 我が母校が 完全優勝でした
娘の母校も5位 来年のシードを取ることができました

都大路では 15位
ちなみに 家内の母校も出てて 47チーム中 47位でした
慰めに トップと十数分の違いだし全国大会に出るだけでも凄いよ って言ったら
「沖縄は 暑いからマラソンはねぇ〜」って言ってました
   

Posted by 波場印  at 11:20Comments(4)プライベート

2014年01月02日

新春スクランブルブログ



1月2日 
平成元年 牛深中 卒業生同窓会様
働き盛り 飲み盛り 人生の中で一番元気のある年齢の人達の同窓会です
話も飲み方も弾んでいるようでした ほんとうに羨ましい
(個人談)
2年前 私たちも65歳時の同窓会をしたんですが 人生の黄昏時と 人生の正午時は
こんなに 違うんだなと感じました
別に歳取ってる人達の同窓会が 元気がない と言ってるつもりではありません
だだ 歳取るごとに落ち着いた同窓会になります それはそれで いいとしましょう




いろいろとお世話 ご苦労様でした
最近 ゴルフの腕もメキメキ上達してシングル入を果たしたH君です
あまり年寄りゴルファーをいじめないようにね(笑)
御利用ありがとうございました


東京から正月に帰ってきてる娘の話
青山 表参道にあるレストランで 化粧室に入ったら
“女たちの都”「ワッゲン オッゲン」の全国公開のポスターが貼ってあったそうです
店の人に 天草に関係のある方が いらっしゃるんですか?と聞いたら 
「監督さんが よくいらっしゃって 常連様です」 と言われたそうです
監督さんと お知り合いの方は 店の名前 お聞き下さい
(胡椒ジュースなんてある“辛いものが売り”のフードアドバイザーの店長がいる店
だそうです)

数年前の映画「おくりびと」、「恋するトマト」「幸せのスイッチ」(ご当地映画)が
製作完成してから 2.3年後にヒットしたように 
「ワッゲン オッゲン」も全国公開になってから ブレイクしたらいいですよね



アオリイカ
毎年 暮れに 親しい友達だからと何の気もなしに もらってる ミズイカの一夜干し
寿司ネタを 干物にするのだから贅沢品 ということ と
身が厚くて 美味しさは絶品 アカイカの数倍もコクがあって 美味しい ってのは
解ってました、
 まずスーパー デパートにも売ってあるのを 見たこともないし そもそも売って
あるとしたら いくら位するものだろうと 思って楽天市場で探してみたら 長崎産
のがありました
値段をみてビックリ 500グラムで¥5000円 
キロ¥10.000円 伊勢海老並なんだ、、、、!
 干物としたら超高級品なんですね(1杯200g前後のものは安いようです)
「今年は あんまい 釣れんじゃったー」 と言って300gくらいの一夜干しを
6.7杯 持ってきてくださいます
さもしいかもしれませんが 値段に直したら高額なものを 頂いてたんだと
 あらためて驚いた次第です
こんなのをごく普通に食べられるのは 天草に住んでいればこそですね
二谷英明さん(郷ひろみ の最初の奥さんの父親)いつもありがとうございます

p.s
イカの数え方
牛深では イッピヤ、二ヒャ、サンビャ、、、 と数えます
イカは飲み物と同じ?
             波場印
   


Posted by 波場印  at 17:04Comments(1)ホテル