2014年07月31日

帰巣本能


明日から8月 お盆月ですが 
お陰さまで 今現在 お仕事で来られる方、家族連れの海水浴、魚釣り、入り混じって宿泊のお客様が多いです
 それに 多いのが 盆前の 故郷お墓参りのお客様です、
時間の自由になる 歳を召されたお客様たちですので 今までの経験則から お盆の13日から16日までは
毎年 牛深の宿泊施設はどこも満室状態になるということが解かっていらっしゃって 
事前にすまされるのでしょうね
午前中 荷物を預けられて 行かれたり チェックインされてから すぐ喪服などに着替えらて 
出て行かれるので解かるのですが

最初 来られたときは 何だか神妙な顔をしておられましても 墓参りをすませられますと
 皆様 本当にいい顔をしていらっしゃいます やはりホッとされるのでしょうね
いかに牛深を離れたところから この時期になると ご先祖様のことが 気がかりになって 
思い立って来られたんだろうな ということが解かります 
人間にも帰巣本能ってのがあって その行動が済むと ひとつの安堵感が沸きあがってくるんでしょうね
私などは 家の同じ地区に墓があって 行こうと思えばいつでも行けるのですが ここ数年 家内のほうが
墓への お参り回数は多いです



大変申し訳ありませんが 8月13日から16日は 満室になっております
悪しからず ご了承ください
  


Posted by 波場印  at 09:26Comments(2)ホテル

2014年07月27日

島原からの遠征チーム


がんばれ 寺中少年ソフトボールチーム
明日の三県架橋ソフトボール大会で島原からの遠征です、
可愛らしい子に聞いてみました
「ぼく どこ守るんだ?」
「僕 ベンチ !!」  レギュラーの子供より 元気です
こんなチームは絶対 強いと思います 
子供のエネルギーって すごいです 砂月で 海水浴してきて みんな真っ赤 
付き添いの親御さんたち 本当にご苦労様です
試合がんばってね  期待してるよ

ちょっと いい話
ある熊本県北の中学校の生徒がバレーで来た時でした
一人の生徒が自分だけユニフォームの違うのをもってきてたんでしょうね
夜 親御さんからホテルに電話がかかり 
「今から牛深へもって行きますので
夜中そっちへ持って着くのが12時過ぎると思いますが 開いてるでしょうか?」
「こちら何時でもナイトの者がおりますので大丈夫ですよ」

夜中1時ごろ お子さんのユニフォ-ムを持って到着されたそうです
夜 遅いので 空いてる お部屋にお泊りになられて明日 お帰りになられたらいかがでしょうか?
おすすめしましたら 明日 仕事が休めないので すぐ帰ります  とのこと 
福岡との県境の所から 夜中 牛深まで往復、、、 子供さんへの愛情を強く感じた いい出来事でした
お父さんのほうは 当たり前 と思われるかも知れませんが 子供のほうは一生忘れないでしょうね

  


Posted by 波場印  at 09:25Comments(4)ホテル

2014年07月20日

天草ライド


またまた ライドのお客様 紹介ですが 今日は 大変ユニークなお客様たち でしたのでブログアップ
させていただきました
このお二人様 年齢差が40歳ほど あります
すごく 仲がよく お二人の砕けぶりから 最初 来られたとき 親子様かな? と思っていたら
年上の方が 大阪から、 若い方が福島県から  鹿児島で偶然か チャットかで知り合われたのでしょうね
 天草 道連れ旅になられたようです
年上の方の自転車は サテン系の頑丈そうな折りたたみ式ですので 新幹線で鹿児島駅から、、
若い方の方は おそらく福島から自転車のままだと思います(凄い日焼けです)
その彼の自転車のフレーム中全体に 行った先々で知り合った人たちのサインが小さくいっぱい書かれてあります
「祈る 安全」から いろいろな 心のこもってそうなメッセージまで、、、たくさん タクサン 沢山
    あー 日本人って いいなー   と思いました


今日は西海岸 高浜で ひと泳ぎして富岡から高速船で
長崎まで とおっしゃてました



  


Posted by 波場印  at 09:35Comments(3)ホテル

2014年07月15日

ホンワタリ?



ウシフカ からホンワタリまで バスでどのくらい時間かかるのですか?
お客様の質問に絶対 笑ったらいけません
こちらホンワタリと書いてホンドと読むんですよ

九州新幹線が鹿児島まで開通して 出水→長島→天草というルートを使われるお客様が
多くなりました 遠方から牛深が目的までの人は熊本~三角~天草のルートより こっちが大分
早いですもんね 
そして 初めて観光で天草ブラリ旅などなさるお客様はマップなどを見て まず最南端に上陸して
天草島を北上 というルートがアブノーマルに感じられて いいと思われてるのかもしれません
私も 天草散策でしたら そのほうがいいと思います
崎津の教会から始まって西海岸ルートで クライマックスは長崎とか
はたまた 本渡から クライマックスは天草五橋 そして熊本へ とか
コース料理も 前菜から始まってメインメニューは少し後で食べるじゃないですか
天草五橋など観光なされてから 牛深にいらっしゃいましても 寂しさだけを感じられるだけかもしれません
ステーキを食べ終わってから カライモを食べる人は あまりいないと思います

 
というような 宣伝手法は 怒られますかね

思い出しましたので 話は始めに帰って
天草の私たちが 北陸 三陸の地理 土地名 を知らないように 向こうの人からしたら
天草の地理など解かられないのかも知れません
 ネット仲間では人気のあるライドのお客様が 天草ライドの模様をブログに載せて おられたので
覗いてみたら その人へのコメントに「天草って 島ですか?半島ですか?」という質問コメントが
あってました 

出水駅から牛深への交通アクセスは 三和商船様のH.Pでご確認 ください
http://www.ezax.co.jp/bus.htm

波場印  


Posted by 波場印  at 11:36Comments(2)ホテル

2014年07月13日

マサカ気味の話


牛深の人 特に 私の住んでる近くの人たちは
昔から 高級魚の○○○を食べません
ですから 牛深の魚屋さん スーパーにも あまり置いてないようです
ルアーフィッシングをされる方は 釣れてからエラ洗い をする魚なので
すぐ判られるとおもいます

いつかだったか 母親に食事のとき 聞いてみました
何で○○○は食べんと?
あれは ××とか▲▲▲を食べるとよ

昔 まだ護岸整備の進んでいない当時 自然のままの海岸淵に住んでる人たちの家では
縁側から すぐ海へ続く天然の溝とか川が見れたんでしょうね
ですから 今時期のように 雨の多い季節には 山からの流れ物が多く流れてきて
中には 小動物も流れてきます
ですから そういう場面を目の前で何度も見てたのだと思います

数年前 阿蘇のあるホテルで 魚が食べたかったので 高かったのですが これの氷の器に
入ってきた洗いは 最高に美味かったです
母の話で もうひとつ タコは木に登って グミの実を食べるそうです 見たと言ってました
これもフォローするわけではありませんが
 夏のタコは最高です、目をつむって食べたら 柔らかい鮑のようです

波場印
  


Posted by 波場印  at 14:27Comments(4)牛深

2014年07月10日

何か気になる



ホテルのカウンターに チラシの重石に置いている
この石 ずーと私たち家族に20年くらい 目の付く所について来ているのですが
どこのみやげ物か解りません
でも 年に数度、 来られたお客様がこの石を見て「ここ行ったんですか?」とか
「私 ここ行きましたよ」とか言われます
言われる方の共通点は 何かマニアックな旅行好きな(失礼)方です 
カウンター越の5秒 10秒の会話なので 後は聞けなくて 頭をひねるだけです
家内に聞いても 娘が小さいとき 沖縄の民芸店で買ってるの と言うだけです
全く手がかりがないからネットでも調べようがないし 知ったって如何ってことないのですが
何か気になります


これは 中国へ行った時 こちらからのプレゼントのお返しにもらったもの
 桂林の小学生が書いたもので何と読んで どういう意味なのかわかりません
最優秀の子供だそうで 額に入れてくださいね と言われたので約束を守って入れてます

波場印
  


Posted by 波場印  at 14:29Comments(4)プライベート

2014年07月03日

ゴルフの話


ゴルフの話は牛深やホテルと関係ないので 触れたら あまりいいことではないん
でしょけど
このブログ 自分の人生の思い出のまとめとも思ってますので 一度だけ
触れさせて下さい 従いまして ゴルフに興味のない方はパスなさって下さい

私がゴルフを知ったのは25歳の時(昭和46年) 姉が 歯科医と結婚したのが
きっかけです
その儀兄から 絶対 面白いからと勧められて クラブを握ったこともないのに
コースに連れて行くから という事で 途中 本渡のマツヤスポーツで 道具を一式揃えて
当時 本渡の瀬戸に開閉する赤い橋の傍にある 小さな練習場で100発位 練習して
そのまま 大矢野の天草カントリーに行きました
最初 ゴルフコースを初めて見たときの印象は誰でも同じでしょうが
「へ~ ゴルフ場ってこんなに広いんだ 当たった時は 野球のボールの何倍も飛ぶんだ
 感動でした
元来 凝り性の私はそれから夢中になり マナー やルールなど厳しく教えられて
 儀兄からスコア100前後でラウンド出来るようになったら誰と回ても迷惑かける
ことないから いいよ と言われていたので
何とか 3ヶ月位で そのレベルに達しました
そして これ幸いに 当時一ヶ月のうち半分以上を過ごしていた 枕崎の近くの開聞岳に
指宿ゴルフクラブというゴルフ場が有りました 
今は カシオワールドトーナメント開催コースとして(現在は違います)有名になった
井上誠一さん設計のコースです
魚が揚がらないとき時は 毎日 一人で 通いました
当時 ゴルフなんかする人はなく いつもガラガラだったので キャデイマスターさん
と友達になって 広い練習場で 練習させてもらいながら ビジターさんが来るのを
待ってて 二人とか三人で来られたお客さんがいて ジョイントOK(同伴)の了承を頂いたら
ラウンドしていました (当時 30分に ひと組 お客さんが来るか どうかの空き具合でした)

その中である日 名古屋から三人の60歳代の人達が ご一緒しましょう という事で
ラウンドしました フロントハーフ後 昼の 食事を一緒にして
お互いの自己紹介などをしている中で
「何歳ですか?」と尋ねられたので「26歳です」と言ったら
「いいですね 今から何十年もゴルフできますね 私たちは後 何年ゴルフ
できるかな 自分たちは トヨタ自動車の役員で 名古屋の和合コースのメンバーです」
(中日クラウンズの開催コース)と言われて 
「三人ともゴルフが大好きで 毎週一で 和合コースをラウンドするんですが
自分たちが死んだ後も 誰かが この和合のフェアーウエイを歩くのかと思うと
 死にたくないなー まだゴルフがしたいなー といつも思うんですよ」と 言って
三人ともうなずかれていました  よほど好きだったんでしょうね
当時のゴルフラウンドは プレイする人もキャデイさんも 徒歩でしたのでアップ
ダウンのあるホールは 結構ハードな部分もあったんですよ

今の私が 当時のその人たちの年齢になりました
私は 早く始めたお陰で40年以上もゴルフする事が出来ましたし 
今は 乗用カートですから 高年齢になっても ある程度できます 
ゴルフに心残りはありませんが 腰と膝が良くなったらしたいですね 


年に一度 男女ツーボールフォーサムの時 シングル伝達式が あってたのですが
この時 西武の東尾さんが 娘さん(理子 当時小学生)と奥さんを連れてきていました


P.C機種替えの為 しばらくブログ お休みします
    それまで ツァィ チェン、

波場印
  


Posted by 波場印  at 10:13Comments(10)

2014年07月02日

昔の巾着船の 乗り子さん達


- 昭和40年(1965)福岡 徳島造船 進水 第53満吉丸 69トン

もし ○○が海で行方不明になった時は 船から一升瓶をぶら下げて 海に流して
引っ張れば すぐ引っ掛かってきて遺体はあがる、 ××には花札、△△にはエロ写真、

学生の頃 夏休みに帰省した時 船の乗り子さん達の話が面白いので 船に行って
一緒に混じって焼酎飲んだり飯食ったりしてたのですが
「学校で何かスポーツは しよるとか?」
「ウン、 今 スケートが面白かけん 練習しよる」
「あら スポーツじゃなかろもん 遊びやろもん 野球とか剣道とかさい 」

まぁ そんな時代でした
いつものように 7~8人で呑んでる輪の中に 
漁撈長(船の中で一番偉い人 50人のトップ。 貫禄があります)が 
「オイモ カテロ」と入ってきて
「焼酎よか茶ば くれろ」と言ったら 
誰かが家庭で中元にもらった紅茶を船に持ってきてたんでしょうね
コーヒーカップに紅茶ティーパックを添えて漁労長の目の前に置いたら
ティーパックを両手指先で盛んに破ろうとし始めました 破れないので
ウ~ンと言いながら 今度は口にくわえて 歯で破り始めました
私が パックごと湯の中に浸して出汁を飲むもの と教えようとしたら
みんなが 教えるな、教えるな、 と目で合図するので黙ってたら やがて破って
中みを カップの中に入れて ヤカンのお湯を注いで砂糖を入れて飲み始めました 
「こんコーヒーはザラザラしとって うもなかね」と言いながら プッ!プッ!と
溶けない粉を吹き出していました
私は 笑うのを一生懸命こらえていましたが
他のみんなは その場面を横目で見てても 平然として ほかの話をしていて
漁撈長が立ち去った後 みんな ひっくり返って大笑いをしたのですが 
乗り子さん達のチームワークの良さにびっくりしました
でも その中に二人くらい そうして飲むものと まだ知らない船員もいました
すでに知っている船員は 「ソンために ひもの付いといやっかあー」と威張って
教えていました


2号船 第53満吉丸の漁撈長の話です
船員さん達との話は まだまだたくさん 思い出があります
そのうち おいおい書きたいと思います

“若者笑うな いつか来た道、年寄り笑うな いつか行く道” (ガッツ石松)
波場印  


Posted by 波場印  at 09:20Comments(11)巾着船