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2016年05月03日

昭和20年代後半

昭和20年代後半
大昔の巾着船の記事が こんなに多くの人から
アクセスいただくとは 思っていませんでした
現在も毎日 各地から閲覧されていていますことに感謝します
(巾着船のカテゴリー アクセスだけで 2万回を突破しました)

今となっては 時系列に書いたらよかったのかもしれませんが
断片的、思い出しのこと ですので 時代 年号が前後して
しまいまして申し訳ありません

上の写真は 父が 初めて建造した初代「第三満吉丸」です (木造船 59トン)
「雇われ船頭」から 独立して 一年目は 確か 柳丸 という中古船を甑島から買ってきて
起業したのは覚えています、
それから 間もなくして 建造したので昭和28年~30年
私が 7歳くらいの時だと思います
オンノイケ(天草 鬼池)の造船所で何という造船所かは知りませんでしたが
当時の エピソードを よく 古い船員さんから聞いてたのを
思い出しました
完工 進水が間近になって 内部艤装の段階で 特別発注してたラット(操舵機)ができあがってきて
ブリッジの中に 入れようとしたら ラットが大きすぎて どこからも 入れられず
完成していたブリッジの天井を 壊して 入れたそうです
今の船のラットは車のハンドルと変わらない 大きさですが 当時は電動油圧などなく
全てチェーン舵だったので 大きいほうが舵効きが よし と考えたのでしょうね 

船体だけ完工進水して 中のエンジン(焼き玉) は牛深の鉄工所での据え付けのため 鬼池から牛深へ回航するのに
ダンベで 曳航して もってくる途中 本渡の現在の瀬戸橋の中央付近で 水深が浅くて
座礁してしまったそうです 海底が砂地だから船底に傷つかなかったのは よかったのかもしれませんが 
どうしても浅場から 降ろすことができなくて 本渡じゅう から 空のドラム缶を集めて 船底に抱くように 
縊りつけて 次の日の満潮にやっと 瀬戸から脱出できたそうです 
冬の寒い時 船員全員が 泳いでの作業だった という話を聞きました
昭和20年代後半



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Posted by 波場印  at 16:22 │Comments(8)巾着船

COMMENT
波場印さま

熊本でのお手伝いを終えまして無事帰宅いたしました
この3連休は両親の手伝いで農作物の植え付けをしておりました
今週末は休日出勤でございます

牛深行きは7月もしくは9月ですね
9月の可能性が高いような気がします
くれぐれもお身体にお気をつけてお過ごしくださいませ
また元気にお会いしましょう(*^-^*)
Posted by 青い稲妻青い稲妻 at 2016年05月05日 16:45
青い稲妻 様
熊本でのボランティア、ご苦労様でした、
まさか熊本が こんな大地震に みまわれるとは思っていませんでした
東日本大震災後の ハザードマップでも熊本は安全なほうだったのですがね
 逢える日を楽しみに 次回の来熊 お待ちしております 
Posted by 波場印波場印 at 2016年05月07日 07:34
ブログを閲覧して思ったことなんですが、牛深の旧網元様方々や昔のカセンナ港を写した方々は巾着船の写真沢山持っておられるでしょうね!
ハイヤ躍り、ハイヤの古里をPR(ハイヤは現在市民の躍り)してばかりで私ら地元漁師側から見てたらアキアキしてきますね!
波場様のブログ(巾着)は私も影ながら楽しみにしていつも閲覧してますよ!毎朝ハーバーインブログをアクセスして「今日は巾着船の話題ないのかな?」と必ず見てますよ(笑)!
しかし私の発想ですが総合センター1Fのロビーに歴代ハイヤ祭りのポスターが沢山貼られて掲載されてましたが、もしできるなら旧網元様方々が集結して沢山写真を集め昔の巾着の写真展とかやってほしいですね!
総合センターでも海彩館でもいいですが…
それとか今牛深で活躍している全棒受網漁船の写真をズラリと掲載するのもいいなぁとか思っています!私は…
平成生まれの牛深の若者達もおそらく巾着船のことは知らないでしょうね!だから昔(昭和50年~60年頃)の船津、真浦、加世浦、長手に沢山旋網漁船が集結してた頃の牛深を興味のある人々に見せてあげたい思いです!
Posted by 船人(ふなと) at 2016年05月08日 13:28
巾着船の模型とか造ってみたいです、長さ2メーター位の杉の木を切って来て、工具、木工ボンド、ペンキ買って上の写真を復元してみたいです!
船大工さんなら上手に造るでしょうね!
Posted by 武蔵 at 2016年05月08日 16:54
2番目↑の写真ちょこっとだけ
昭徳丸が写ってますね!屋号がちょこっとだけ見えます(笑)
Posted by 明石家いわし at 2016年05月08日 18:56
船人(ふなと) 様
長崎 五島では「乗り子」、牛深では「フナト」「フナカタ」でしたよね、(笑)
 当時の親方の家には 沢山の写真があると思います
いつの日か 公開されることを期待しましょう

武蔵 様
昔 船を造ると 記念に造船所が1m位の模型を作って船主に贈呈していました、ガラスケースに入れて すごく丁寧 精巧に作ってありました
すぐ 私のオモチャになっていました ですので 私の家には残っていません
 ぜひ模型創り挑戦なさってください

明石家いわし 様
よく 気が付かれましたね、昭徳丸さんのダンベです
当時の母船(ダンベ)は オモテ舳先が丸くなっているので「マルマゲダンベ」
と言っていました
Posted by 波場印波場印 at 2016年05月09日 06:46
ハーバーイン様に質問ですが?
このブログの写真と熊日写真ライブラリー(双手巾着船)の写真をみてコメントしました、この熊日写真は長手ドックに双手巾着船(2艘)が船台に揚げられている写真ですが、たぶん同じ時代の牛深の巾着写真と思うんですが、ハーバーイン様達が幼少の頃牛深にも双手巾着船はいたのですか?双手巾着といえばこの近辺なら御所浦、大多尾ですね!昔は宮野河内、長島あたりも双手巾着はやってたと思いますが、牛深は昔から片手が主流ですよね!
Posted by 松尾鯛雄 at 2016年05月09日 12:08
松尾鯛雄 様
私の生まれる前にはいたかもしれませんが 牛深のモロテは記憶がありません 同時代だとしたら 他所からドックにきてたのかもしれませんね
Posted by 波場印波場印 at 2016年05月09日 13:29
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