ハーバーインブログ>昔>明治神宮球場(1969)
2015年04月07日
明治神宮球場(1969)
1969年の神宮球場です
この間の ヤフーニュースで知ったのですが
この球場 東京オリンピック後 取り壊しが決まったそうですね(2020年)
大学時代 「午後から 必須じゃないから サボるぞ」 といって みんなで
野球応援に よく行ってました
今は どうか知りませんが 金 土曜日、が六大学の試合で 東都の方は 水、、木曜日だったと思います
当時 私のいってた大学は あまり強くなく 一部と二部を行ったり来たりしていましたが
ヤクルトに入った アンダースローの 会田投手 とかがエースでした
他の学校では 駒大の大矢捕手がスラッガーでした(後のヤクルト監督)
六大学のほうは 有名な 田渕幸一 星野仙一 山本浩二 などが 活躍していました
当時のこの球場は 公営公共施設ということもあって 宣伝とかの 看板も全く ありませんでした
当時からヤクルト スワローズのホーム球場だったので 夜はナイターでプロの試合があってました
大学試合が 長引いて延長になると 神宮第2球場で練習を終えた プロ選手が ゾクゾクと現れて
私たちと同じスタンドで 大学試合を眺めながら終わるのを 待ってました
私が卒業したあと 急に強くなって 有名なプロ選手も何人も出てます
つい 数年前でしたか TVで巨人の試合を観てたら 会田という 若いピッチャーが投げるのを 偶然
観ました アンダースロー だったので 私の 大学時代の会田選手と関係あるのかな と思って調べたら
私らの時代の時の 会田投手の三男息子くん でした
時代を感じました

※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
父親に『一年だけの浪人』を頼み込み、どうしても行きたかった東京にハヤブサの寝台で・・・。
波場印様もブルートレイン、からスカイメイトへ、とか出会いとか、本領発揮の『日活風セピア色』 有難うございました。
全く 同じ過ごし方してたのでしょうね 大学紛争に熱心なやつもいましたが
私は とんと無関心で バイトで遊ぶ金 作るのに 一生懸命でした
父からチャッカリ援助も 同じでした、
水俣からはハヤブサ 熊本からはミズホ でした
いつも 素晴らしいサブタイトル つけていただいて感謝してます
写真はまさに「日活風 セピア色」です(笑)
大阪にいたので阪神競馬場やら奈良の寺院めぐりをしていたのを
思い出しました(*^_^*)
若い時のあひるちゃん 可愛かったでしょうね
おっとっと 失礼しました 今も可愛いです
神宮球場建て替えでしょうかね?屋根付きの球場にはしないでもらいたですがね。
ヤクルト対 巨人戦 くらいしか 大入りにはならないでしょうね
昔と比べると大分とカラフルになってますよね
神宮外苑らしく 青空天井の球場のままにして欲しいですね